タイムリープと秋の空。

timeleap.netで記事を書いていた沙耶の避難所です。タイムリープの方法や関係する話を書きます。

今にも通じる東洋哲学

こんにちは、沙耶です。

前回は、世界の区切り方について紹介しました。人間は言葉によって世界を区切っていますが、その区切り方は人によって違います。つまり、同じ言葉でもその意味は異なるというのです。もっと言えば、今自分が見ている世界はほかの人には見えず、ほかの人が見ている世界は自分には見ることができません。言葉については『シニフィアンシニフィエ』、感覚については『クオリア』を調べると詳しい説明が読めると思います。さて、西洋哲学では近代になってから現れた「真理は人によって異なる」という考え方ですが、東洋哲学では紀元前からこの考え方が起こっていました。今回はそんな東洋哲学について紹介したいと思います。

インドには古代から「カースト」と呼ばれる身分制度があります。カーストは日本の士農工商とは違い、宗教的な意味合いがあります。バラモン教では、「現世の業(カルマ)によって転生した後の人生が決まる」という考え方があります。つまり身分が高い人は前世で徳を積んでいるから身分が高いのであり、身分が低いのは前世で悪いことをしたから身分が低いということになっています。もちろんこの考え方を認めなければ異教徒なので、カーストの最底辺として弾圧されることになります。しかし、どの身分であっても生老病死という苦難を避けることはできません。しかも何度も生まれ変わり永遠に苦難を受けなければならないというのは、耐え難い状況です。このような問題の中からインド哲学が生まれました。

まず、この世のものに区別がないという近世西洋哲学での発見が古代インドですでに起こっていました。結果には何か原因があるという思想から「生まれつき悪い環境にあるのは生まれる前に悪いことをしたからだ」という発想になるくらいには因果論が浸透していたので、物理学の物理法則を知らなくとも何かしら法則(ダルマ)があることを理解していました。そしてこの世の全ては法則によって動いており自分自身(アーリマン)も例外ではないことを理解すれば、自分自身を含め世界は区切りのない1つのものであり、そこに輪廻も業もありません。この考え方は中国でも独立して生まれており、これが中国で仏教研究が盛んになった理由の一つでもあります。

現在の日本では科学の考え方が受け入れられているので、人間自体も物理法則などの法則に縛られていると言っても変な目では見られないと思います。その一方で、自分には自由意志があると言っても変ではありません。つまり仏教的な考え方があるように見えて、それ以外の矛盾する考え方も同時に持っているのです。この日本人の信仰の仕方については別の記事で紹介したいと思います。