タイムリープと秋の空。

timeleap.netで記事を書いていた沙耶の避難所です。タイムリープの方法や関係する話を書きます。

「起こりうる」と「必然」の論理学

こんにちは、沙耶です。

三段論法という言葉を聞いたことがあると思います。三段論法を使うと『東京は関東に位置する』『日本の首都は東京である』という2つの前提から『日本の首都は関東に位置する』という新しい事実を導くことができます。他にも対偶論法ド・モルガンの法則というような論理の法則があります。このような分野が論理学です。今回は論理学でパラレルワールドについて考えようと思います。

論理学において、「否定」という概念があります。否定というのは「〇〇ではない」ということなのですが、単純に「ではない」を付ければいいというものではありません。例えば「全てのゴリラはB型だ」という文はB型以外のゴリラが1匹見つかれば否定されるので、この文の否定は「少なくとも1匹のゴリラはB型ではない」になります。「全てのゴリラはB型ではない」では間違いです。

そして本題は「〇〇の可能性がある」と「〇〇は必然だ」という文です。可能性があるというのは、例えば「任意の素数が奇数である可能性がある」とか「ある人間が男である可能性がある」ということです。そして、必然というのは「任意の素数自然数であるのは必然だ」「ある人間が生物であるのは必然だ」ということです。つまり、『可能性がある』は確率が0%ではない、『必然』は確率が100%である、と言い換えられます。ただし過去について言及するとき、数学的な確率論とは離れたものになります。例えばヒトラーユダヤ人を迫害した確率は100%ですが、「ヒトラーユダヤ人を迫害したのは必然だ」と言った場合、どう足掻いてもヒトラーユダヤ人を迫害することになったという意味になります。実際にはヒトラーユダヤ人を迫害しない人生を歩むことができたはずなので、確率論と分けて考える必要があります。

ここで問題を提起したいと思います。『Aである可能性があるのは必然である』とはどういう意味でしょうか。この程度なら「どう足掻いてもAである可能性は拭えない」という意味に捉えることができます。しかし「Aであるのは必然であることは必然である」とか「Aである可能性がある可能性がある」とか言われたらどうでしょうか。このような問題について考える論理学の分野を様相論理学と言います。様相論理学を考える手段として、「可能世界論」というものがあります。これは論理学のパラレルワールドです。無限にあるパラレルワールドには、この世界と比べて異なる部分が少ない『近い世界』と異なる部分が多い『遠い世界』があります。近い世界も複数ありますが、この全てがAであれば「Aは必然だ」と言い、近い世界のうち1つでもAである世界があれば「Aである可能性がある」と言います。すると「Aである可能性がある可能性がある」でも「Aであるのは必然であるのは必然だ」でも考えることができます。

この可能世界論は論理学を考える手段として発見されましたが、この可能世界は実際の世界を表しているのか、という問題が哲学者の中で議論されています。三浦俊彦氏の『可能世界の哲学』という本ではそれらの議論や多世界解釈との関連などについて初学者でもわかりやすく書かれているのでオススメです。